想像が収縮する瞬間
昨日情熱大陸に山口晃という画家が出ていた。映像の中では現代の造形物を取り入れた大和絵のような絵が多く映され、僕はそのどれもに惹かれた。
しかしそれ以上に気になったのが彼の言葉で、それは少し違うかもしれないけど次のような内容だったと思う。
言葉や文字で把握してしまった時点で
絵が、一定の範囲に収束してしまうんです。
これがわかるようでわからない、わからないけど身に覚えはある気がするという、何とも不思議な種を僕の頭のなかに落として入ったのだ。
昨日からちょっと考えてるんだけどわからない。考えると言っても確かなヒントが無く困っていた所、2013年に山口氏が受けたインタビューが掲載されており、その中にヒントらしきものがあった。
(黒澤明はある文献の一文を読んで『七人の侍』を閃いたそうだ。その閃きの瞬間以降の作業について、山口氏が推論している。)
そこが、いちばん「豊か」なんです。
ですから、その後の作業、 つまり脚本を描いて、キャスティングして 撮影をして、編集して‥‥という 一連の作業は その「直感的な閃き」を 3時間半の映画に仕立て上げてゆくための 「つじつま合わせ」でしかない、と。
何かに置き換わった瞬間それはその置き換わったものの枠にハマる。それは言葉だったり絵だったり他のものだったりするが、枠にハマった以上、元のように広げたり、縮めたり、くっつけたり、離したり、自由になんやかんやしたりできない。枠は枠なのでそこから外に出すことはできない。
とか考えるんだけど、今言ったことは誰もが読み取れそうなことで、それ以上の意味がありそうなんだよなぁ... と、勝手に妄想してる。
森見登美彦氏の文章の隣に山口氏の絵がちょこんと添えられてると、なんだか最高だと思った。