CHROMA

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たまごかけごはんの歴史

あなたは岸田 吟香(きしだ ぎんこう)という人物をご存知だろうか。

彼は実業家として精錡水(せいきすい)という日本最初の液体目薬を販売したことでも有名だが、日本初の従軍記者としても歴史に名を残している。

また、「麗子微笑」を描いた画家の岸田劉生の父親といえば名前を覚えやすいだろうか。

ここで彼の名を出したのは、何もバイタリティー溢れる経歴や見た目のインパクトに惹かれたからではない。あくまで一説ではあるが、彼こそが卵かけごはんを世間に広めた人物とされているからだ。

Wikipedia に掲載されている卵かけごはんの歴史を少し見てみよう。

古来より日本人が食する動物性の食品は、魚介類が中心であった。仏教の不殺生戒の影響(ただし誤解もある)により、獣肉や鳥肉の摂取は稀であった。それでも鳥肉は獣肉に比べればまだ食されていたが、鳥類が産んだ卵については長らく人間が食するものとはみなされなかった。

(中略)

一般的に鶏卵を食べるようになったのは、江戸時代とされる。

(中略)

近代に入った1877年頃、日本初の従軍記者として活躍し、その後も数々の先駆的な業績を残した岸田吟香(1833年 - 1905年)が卵かけご飯を食べた日本で初めての人物とされ、周囲に卵かけご飯を勧めたとされている。

卵かけごはん - 歴史 | Wikipedia

日本では江戸時代に入ると卵を食すようになったが、このときはまだ高価な食材であり、一般的な家庭に卵が並ぶようになったのは近代(1877年頃)に入ってからのようだ。

そんな卵かけごはんはどのように形を変え、今の時代に受け継がれてきたのだろうか。

(推測)卵かけごはんの移り変わり

江戸、明治、大正... という流れで時代ごとに見て行こうと思ったが、残念ながらこれに該当する文献は見つけることができなかった。

一番知りたかった内容が見つからなかったのは悲しいので、もし書籍などでこの内容に触れているものがあれば誰か教えて欲しい。

ここからは完全に僕の推測だが、そのとき食卓に並んでいた調味料は大体卵と共にご飯にかけられていたのではないだろうか。明治に発売された味の素は今も卵かけごはんによく使われているし、同じ時期に発売されたウスターソースをかけた者もいるだろう。大正になってキューピーからマヨネーズが発売されれば、それを卵かけごはんに乗せて食べた人もいそうだ。

また、クックパッドで卵かけご飯のレシピを検索してみると、調味料以外にもネギを入れ、納豆を入れ、オクラを入れ、しらすを入れ、梅を入れ、ベーコンを入れ... 、豊富な具材が卵と一緒にご飯にかけられているのがわかる。

自分だけのオリジナル卵かけごはんを求めて、様々な試行錯誤が繰り返されてきたのだろう。

僕の場合、先日は少し豪華なたまごかけごはんをブログに載せたが、普段は卵以外は醤油(またはめんつゆ)とごま油、味塩しかご飯に載せない。

時間に余裕があるときは色々チャレンジしてみても良さそうだ。そういうのも面白そうだ。

参考